「自分の使い方」読解!_序論_①
前回の投稿からだいぶ日が経ってしまったのですが、このブログを通じて僕なりに
『自分の使い方』
を英語の原文にあたりながら読み解いてみるということを試してみたいと思います。
例によって念のためですが、あくまでも一教師としての視点からの読み解きであって「これが正解!」を主張するものでもありません。
「議論」をしたいものでもないので、すみませんがコメントは受け付けない投稿とさせてください💦
あくまで読む方の興味と関心に合う限りでお付き合い頂ければ幸いです!
まず第一回は本文に先駆けた
「序文」
から!これは自らも著作があるアレクサンダー教師で医師でもあったWilfred Barlowが1985年版に寄せたもの。
「たかが序文」と読み飛ばして欲しくないのは、ここではアレクサンダーに直接習ったこともあるという、いわば直弟子から見たアレクサンダー・テクニークが簡単に述べられている、より正確に言うなら
「何がアレクサンダー・テクニーク ではないか」
が述べられているなかなか重要なパートだからです。
結論を言ってしまうと、Barlow氏の言葉(原文通り)によればアレクサンダー・テクニークは
manipulative threeapy
(操作的なセラピー)
ではなく
relaxation technique
(リラクゼーションの技術)
でもありません。
特に僕が重要だと思うのは、Barlow氏がこのテクニークはセラピーではないとわざわざ述べている点で、アレクサンダー・テクニークはこれをある種のセラピーと捉えるか、レッスンを通じた学習・訓練であると捉えるかによって、教える側にとってもレッスンを受ける側にとっても全く違った意味を持つものになっていきます。
Barlow氏が正しいと盲信する必要はありませんしするべきでもないと思うのですが、少なくともこのワークをセラピーと捉えるか否かというのは重要な価値観の問題になるということを本論に入る前に頭に置いておいた方が良いでしょう。
※レッスンでの学びは個人的なものなので「いや腰痛良くなったし、セラピーじゃねえか」と思う人はそう思っていてもぶっちゃけなんの問題もないと思う。私は教師としてはそれに同意しないけれど。
まだまだ序文に時間をかけるかと思いますが次回に続けます。。
※1985年版の_The Use of Self_はAmazonでも入手できる。長く学ぼうという人は一冊は手元にあっても良いかも。